※この記事は2025年4月にANYニュースレターで配信した内容を加筆・修正してお届けしています。
それとなく、春はいつも何か新しい風が吹く気配がします。
なんとなく現実というものを目の当たりにする瞬間もやってきます。
コーヒーはきっと農園で大切に育まれ、麻袋にいれて港から港へ、そして街へ運ばれて焙煎所やコーヒー屋からあなたの元へ平穏な長旅をしてくるものだと思ってました。

しかし、最近ではコーヒー豆の価格高騰の影響なのか、コーヒー生豆を積んだトラックが窃盗されるような事件も増えているそうです。しかも組織的に行われている可能性もあるとかないとか。
とんだ荒くれ者がいたものです。
決断はいつも女々しさと共に。
そんな、なんとなく世紀末を想像させるような出来事が起きつつも、この春から新たな決断をして新しい環境や場所で働いたり、学んだり、又は同じ場所でも何か別のことに挑戦したり。様々な意思決定のもとで、様々なことに取り掛かりはじめる人も多いのではないのかなと思います。
最近読んだ本でその”決断”について思慮深い考察があったのですが、「決断は未練込みの倫理性を帯びている」という言葉。(千葉雅也 著:現代思想入門 より)
いつも何かを決断する時はその裏に二項対立的に排除されたり選択されなかった他者があり、決断されたモノのみではない。
決断されなかった他者に、ある種のもったいなさや後悔、申し訳なさがあるというような解釈だと思いますが、誰だって迷ったりしますし「こうしておけばよかった」ということはあります。
ただその女々しさみたいなのはあっても良いよね。って事でそこにある弱さも、それさえも込みでの決断であると認めて、決断されなかった他者を感じて進めばいいと思います。
それが自分の決断した道を進んでいく時に受け入れるべきものなのかなと、やんわり春風のように思いました。
なので、冒頭で述べたコーヒー生豆泥棒達は自分たちの決断とは別の所に大切な何かをおきざりにしてしまい、失っていると気づいてもらい、真っ当に商売してほしいですね。

自分の中にある”想い”を信じて走り出す。
そんな決断をする時に、私たちは”結果”を意識しすぎる節があります。
しかし結果を求めすぎると、決断できなかったり本当に自分の心に正直な決断ができなくなったりします。
周囲の合意を得る為に、協調する為に決断内容を調整することも、もちろん必要です。
なので自分の意のまま生きればいいという訳ではないうえで、この辺りの加減はディペンズですが、すごく難しいと思います。
それを踏まえた上で結果を意識しすぎる必要はなく、むしろその決断をした意図や動機、要するに”想い”が大切。
これは18世紀哲学者カントの考え方で、「その行動をする為の意思自体が善い。結果が善いのではない。」
この言葉と考え方を知った時に、いくらか救われたような気持ちになりました。
考えて、想像して、考えて出した決断から、結果がついてこなかったとしても善いと信じて行動したのだからそれは善いのだ!
とポジティブになれます。そして次に進むことができる。また走り出せるのです。
とぐろをまく闇と春風
こんな世の中も、世の中にあわせて生きていくより、まず自分の想いがあって生きていけたらいくらかマシな世界だと感じると思います。
意思こそがまず尊重されるべき事だとしたら、意思のない周囲の良しとされるモノに合わせた表面ツルツルで均一化された、とても良く出来た世界はなんだか偽物っぽくて、逆に不恰好で、凸凹で、歩きにくい世界のほうがリアルで面白くて、想いに溢れてると思えます。
先ほど、カントの言葉で救われたと言いましたが同時にこの世界の歪んだ部分が暴かれたような気持ちでもありました。
とぐろをまく闇を突き抜けて、暴かれた世界からこのヘンテコだけど面白い世界を走り抜けたい。新しい風はあなたの方にもすでに吹いています。
この春、あなたにも素敵な風が吹く季節でありますように。
3月下旬にかかるまで寒かった日々が、 暖かい日差しにほぐされて目の前が開けた時。 この世界は綺麗事だけでは生きていけないと悟る。 それでも自分の信じたモノがそれで善かったと思い、 とりあえず駆け抜けるしかない。 走ろう!できるところまで!